TA中の日本縦断

その1・北海道編
その2・東北編
その3・信州編
その4・完結編

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その4・完結編 松本〜佐多岬

メンバー紹介
田中 良忠 のみ
装備
自転車、自転車用キァリア2つ、サイドバック4つ、4日分の着替え(レーシングジャージ含む)、タオル、スイムタオル(このタオルが非常に役に立った。普通のタオルなんかほとんど使用しなかった。)、カッパ、サンダル、SPDシューズ、ヘルメット、サングラス、保険証のコピー、旅費、洗面セット、ビタミン剤(朝、晩、毎日2回飲む。)、工具、消耗部品(スポーク、ニップル、チューブ、チェーン等)、荷紐、自転車用オイル、3人用テント、寝袋、銀マット、コールマンのガスコンロ×1、1.7リットル燃料タンク×1、ファンネル(燃料をコンロに入れるためのじょうろのような奴を我々はその形からこう呼ぶ)、ライター、10合なべ、包丁、洗剤、ごみ袋(ごみを入れるだけじゃんくて、荷物を守るための対雨用としても役に立つ、今回はやらなかったが、いざとなれば防寒防水用として着る事ができる。)、食用油、しゃもじ、スプーン、箸、コッヘル、タワシ、カメラ、米5kg、食料、地図(ツーリングマップル関東、中部・北陸、関西、中国・四国、九州の5冊。やたらと重い。)。等を全て1人で積む。

8月28日 松本・長峰山天平の森キャンプ場〜岐阜県土岐市 170km 日本縦断再開
 朝5時、携帯の目覚ましで起きる。サークルの皆はまだ当然のごとく寝ている。皆を起こさないようにして、そそくさと出発の準備をする。出発前に主将の堀内と日本縦断メンバーとして一緒に走った井伊に挨拶をして出て行く。八巻は、この時どの部屋を探しても見つからなかったので、後で電話した。とりあえず今日は東海道を走って名古屋に向かう事にした。泊まる所は全く考えず、夕方4時か5時ごろまで走ってから探す事にした。松本を出てからは民家をほとんど見なくなる。山の合間を縫って進むような道路であるが、その割に交通量は多い。9時ごろに八巻に挨拶の電話をする。八巻は日本縦断の途中でリタイヤしてしまったが、また松本から一人で佐多岬を目指すとのこと。鳥居峠を越えてからは緩く長い下りが続く。長野県上松町にある寝覚の床というところによる。エメラルド色の川と自然にできた四角岩がたくさん並んでいるのが、なんとも神秘的な光景であった。なんでも山の中なのに浦島伝説ゆかりの地だそうだ。その後、坂下という町で昼食をとり、昼寝をする。1時に出発、先ほどの長い下りとはうって変わって岐阜県の中津川という所あたりから急にアップダウンが多くなる。結局、岐阜県土岐市で今日は引き上げる事にした。山神温泉というやたらと高い温泉に入り、運動公園のゲートボール上の横にテントを張り夕食を食べた後、早々と寝る。

8月29日 岐阜県土岐市〜滋賀県近江八幡市 150km 石榑峠
 朝5時起床。いつもどうり昼食の分も一緒に米を炊き、食事後、テントを畳んで出発する。朝10には名古屋城に着く。名古屋城を見た後、出発。名古屋〜京都間の峠が1つあるが最短路の国道421号を通る事にした。峠の手前で昼食にして休憩しているとおばちゃんが話し掛けてきて、旅の経緯を説明すると応援してくれた。気恥ずかしかったが嬉しかった。休憩後、出発するとすぐに峠に入った。いきなりの急勾配でしかも道がどんどん狭くなっていき、京都〜名古屋最短路であるはずなのに車の通りがほとんどない、その上国道400番台(自分的に国道3桁台はやばいというジンクスを持っている。)であることから猛烈に嫌な予感がした。その予想は見事に的中し、峠の頂上付近では、とんでもない坂が続いていた。道は荒れている、幅員は狭い、勾配は鬼のようにきつい、とにかくこの旅最悪の峠となった。あまりの苦しさにインナーギアに指がかかってしまった。峠を登りきったところで丁度、地元のロードレーサー達に会った。彼らは、自分が名古屋側からこの装備で登りきった事にもの凄くびっくりしていた。ちなみにこの峠を石榑峠という。その後、峠を下り、琵琶湖沿いの町、近江八幡市まで走った。銭湯に入った後、町を散策する。古い作りの家が立ち並び、歴史を感じさせる町並みが美しい。観光地化されている京都よりも近江八幡の方が落ち着いた雰囲気があって好きだ。今日は八幡公園にて寝る。夕食はそばにした。

8月30日 滋賀県近江八幡市〜兵庫県芦屋市 130km 芦屋温泉
 今日は京都を通過する。観光はしたいが、先にも進みたいので観光は、ほどほどにする。結局5重の塔と銀閣寺と京都御所だけを見る事にした。この日は神戸の20km手前の芦屋と言う所まで走った。途中によったスーパーマーケットで牛乳を買いお店の駐車場で一気飲みをする。スーパーマーケットを出るとき、交通整理のおじちゃんに大声で「ガンバレー!」と言われた。うれしかった。
 芦屋市に入ってから銭湯を探して町をうろうろするが、なかなか見つからないので警察署に銭湯の場所を聞きに行った。芦屋市に一件しかないという銭湯までの道のりでふと、この町になんともいえない不思議な違和感を覚える。いろんな町を通ってきたが今までにこんな違和感を感じたことはなかった。しかし、その違和感がなんなのか銭湯にたどり着いた時に答えが出た。その銭湯は、なぜか周辺の建物は新しいのにプレハブでできていて、銭湯の横には石原裕次郎号と書かれたバスが止まっていた。それを見たときに初めて気がついた。この町に感じていた違和感は「新しさ」だった。芦屋市に入ってからずっと見るもの全て建物から道路までできてからそんなに経っていない、少なくとも平成に入ってから作られた物のようだったからだ。ここは、おそらく阪神大震災のときに被害にあった場所なんだと感じた。そう感じたとき、もの凄い怖い気がした、ここが本当に阪神大震災の時に災害にあったのかどうかは確認していないが、もし災害にあっていたのだとしたら、今見えている辺り一面すべて災害に合っていることになる。そう思ったとき、言葉もでなかった。
 銭湯に入ってまたその料金の安さに驚かされた、有名な草津や、別府のような温泉リゾート地でもないのに、入浴料は200円台という素晴らしい安さだった。しかも普通の銭湯と違う所はまだまだあって、料金表の所に洗髪30円とある。どうやらお年よりや身体障害者の方達のためにあるようだ。これも、大震災の時に市民からの要望で出来たものなのかな?と思った。今まで色んな銭湯や温泉に行ってきたが、こんな物は、はじめて見た。おそらく日本中捜しても、こんな安くて良い銭湯は、ほとんどないだろう、素晴らしいと感じた。銭湯1つでこんなに考えさせられたのは初めてだった。
 公園で寝床を見つけたと同時に雨が降り始めた。雨宿りできて屋根のついている所があったのでそこに今日はテントを張らず寝る。

8月31日 兵庫県芦屋市〜岡山県長船町 170km
 神戸を通り、明石まで走った。八巻が明石海峡は、自転車も通る事ができると言っていたので、四国に渡ろうと山陽自動車道垂水インターまで登っていくが、やはり自転車は入る事ができずひき返す。「八巻め!嘘つきやがったな。」と思う。おかげで5kmも登らされ5kmも下らされてしまった。そういえば八巻は1人で走ると言っていたが今どの辺りにいるのか少し気になった。明石から姫路まで行き姫路城で昼食にした。名古屋城より姫路城の方がずっと良かった。今日は岡山市まで行こうと思っていたのだが、やる気を無くし岡山市手前20kmの長船町(刀剣や焼き物で有名な町らしい)に泊まる事にした。しかし、これが失敗だった長船町は小さな公園はたくさん有るものの、キャンプするのに最低限必要なトイレ、水道の設備がある公園が1つもない。さんざん探し回った挙句、ようやく水道の設備だけがある所を見つけることができた。結局20kmも街中をさまよってしまい、岡山市まで行けば良かったと思った。公園では4,5歳ぐらいの兄弟が遊んでいた。子供がいる前で火を使うのは危険なので、帰るまで待ってから夕食を作る事にした。その兄弟が話し掛けてきて「お兄ちゃんなにしてるの?」と聞いてくるので、分かりやすく旅の経緯と目的を話してあげた。その兄弟が帰ったあと夕食にした。夕食後その兄弟がまた来てスイカをくれた。「ありがとう。」とお礼を言ったら帰っていった。甘くておいしかった。

9月1日 岡山県長船町〜愛媛県今治市 180km しまなみ海道
 今日は、四国に渡る事にした。せっかく来たのだから四国しまなみ海道を走らないともったいないという事だ。しまなみ海道に入ってすぐの料金所で警備のおじさんに止めれてしまった。どうやらしまなみ海道自体は自転車では通れず、その側道を自転車が通る事ができるらしい。どおりでさっきからバイパスみたいな所を走っていたなと思った。警備のおじさんに自動車専用道の誤進入の理由と名前と住所を書かされた。警備のおじさん曰く「皆よく間違えるから気にしないで。」との事。気をとりなおしてしまなみ海道側道を走る。アップダウンが多いものの海岸線沿いのコースは気持ちよく、海は綺麗だし、空も青空が広がっていて、瀬戸内海独特の島々の景色が美して、橋の上から見る景色は感動ものだ。「このコースをチームの皆とロードレーサーで走れたら最高に楽しいだろうなー。」と思った。夕方、しまなみ海道最後の橋を渡る。夕日の中、しまなみ海道を走っていると、絵になる景色が多い。とにかく美しくて感動的。
 そんな景色を見て走っていて自転車のためだけに時間を割くということは、贅沢な時間の使い方だなと感じた。テレビやゲーム、音楽、友人のある東京にいたら、こうは感じなかっただろう。一日中走って、食事をして、風呂に入って、寝るだけ、全てが自転車で走るためだけにしている、全ての時間を自転車のためだけに費やしている、そう思うと楽しくて仕方がなかった、なんて贅沢な時間の使い方なんだろうと感じた。大学3年の夏休み、おそらく1ヶ月単位の休みが取れるのは、今年が最後になるだろう。これから先は就職、就職活動等で忙しくなっていって、自転車が乗れなくなるまではいかなくても、今まで以上に自転車に乗れる事はないだろう、最悪の場合、夏休み明けから大学のレポートで自転車に乗れなくなるかもしれない。そう思うと、今ある時間がどれだけ貴重であるか、今ある環境がどれだけ幸せであるか、と感じた。だから今、悔いの残らないように自分の体力、精神力の続く限り走りたいと思った。自分の大学時代の目標は3つ。1つ目は、自転車を楽しみ尽くす事。2つ目は、自転車が好きだという気持ちを力と結果で証明する事。3つ目は、後悔しないように毎日可能な限り走りつづける事(往々にして妥協の余地は入るが。)である。もっともこんな風に考えるようになったのは、チームに入る前の自転車をはじめて10ヶ月ぐらい(大学1年の2月ごろ)の時に起きたある事件以降であるが、これに関して説明すると長くなるので省略する。その事件以降「どんな苦しいトレーニングや走りよりも長期間自転車に乗れない状況や立場に置かれる方が遥かに苦しいものである。」という自論を持つようになる。日本縦断を続けていくうちに、この気持ちを再確認していく事ができていった。
 今治市に入ると、まず駅の観光案内所にに行き銭湯の場所を聞き銭湯に行く。その後、公園に行きテントをはり夕食を作り寝た。今日の夕食はインスタントラーメンと鳥のササミと牛乳一本とビタミン剤。あと今日は蚊が多かった。

9月2日 愛媛県今治市〜大分県別府市 130km
 朝、松山までの道のりを走っていると白い服を着て歩いている人たちを数人見かける。「あれが四国で有名な修験者の人たちかー。あれはあれで楽しそうだな。いつかやってみたいな。」と思う(もっとも彼らはそんな気楽にはやっていないだろうが)。さらに松山までの道のりで数人のロードレーサーとすれ違う。昨日のしまなみ海道からサイクリストをよく見かける。この辺りは自転車が盛んなようだ。
 松山についてから有名な道後温泉に行く。古い作りの建物が風情を出していて、いい感じだった。
 道の駅内子で昼食にしていると雨が降りだした。結局雨は止まず、愛媛県八幡浜市にある別府行きのフェリー乗り場まで雨にうたれて走ることになった。フェリーに乗り別府まで行くが別府も雨だった。寝床を探す前に別府で有名な、なべさんラーメンでラーメンを食べていく。大学1年の時、サークルの春合宿で、一度別府に来ていて別府の地理はある程度知っていたから寝床もすぐに見つかった。といっても別府駅なのだが。駅の横にテントを張って寝る事にした。以前、別府に来た時に泊まった別府ユースホステルのおっちゃんと仲良くなっていたから別府ユースホステルに泊まろうか悩んだが結局行かなかった。

9月3日 大分県別府市 10km
 この日も雨なので今日は走らず別府観光をすることした。入浴料100円と安くて有名な竹瓦温泉に行く。温泉に入っていると旅人に話しかけられた。なんでも彼は大学のワンダーフォーゲル部にいて、これからボートに乗るために熊本まで行くという。昼食を一緒にとったあと別れる。その後、八巻に電話すると八巻は今、四国の松山にいるとの事。この日もまた別府駅でテントを張って寝る。

9月4日 大分県別府市〜宮崎県宮崎市 210km
 昨日一日休んだおかげで足がかなり回復した。調子がよく今日は宮崎まで進む事ができた。今日は暑い一日だった。景色は悪くないがコースは単調であまりおもしろくなかった。スーパーマーケットでカツオのたたきが安かったので買った。宮崎市内の橘公園にテントを張って寝る事にした。

9月5日 宮崎県宮崎市〜鹿児島県垂水市 今日は自分の誕生日 115km
 この日は朝から昼過ぎまで雨が降った。雨の中カッパを着て走るが、カッパの性能がもう限界らしく雨がしみてきてびしょ濡れとなる。やむなく途中にあるコンビニで雨が弱くなるまで待つ事にした。雨がやむとまた走りだした、目指すは鹿児島県福山町。ここには、天然醸造でおいしい黒酢を作っているところがあるらしい、夏合宿中台風が来た時に本屋で立ち読みしてここを知った。早速、黒酢の醸造元を探す。でっかい看板と周囲にうっすらと立ち込めるお酢の匂いですぐに見つけることができた。醸造元の周りには、醸造用のでかい甕が何千、何万も並んでいてなかなか壮観な眺めだった。醸造元で黒酢1年ものとりんご酢というものを試飲させてもらったが、予想以上のおいしさにびっくりした。市販のものとは、味も酸味も香りも段違いに良く、おいしかった。さらに黒酢1年ものと3年ものとを比べて飲んでみると3年ものの方が1年ものより、うまみは増し、1年ものの酸味がとげとげしく感じるほど酸味も柔らかくなり遥かにおいしくなっていた。今まで普通のお酢しか知らなかった自分にとっては、ちょっとした感動だった。その後、甕の中を見せてもらい、高村さんへのお土産に2年ものの黒酢を買った。
 鹿児島県垂水市まで走り、垂水温泉に入り、近くの鉄道記念公園という所にテントを張って寝た。
 明日には佐多岬につけそうだ。そういえばこの日は自分の誕生日だった。今日、日本縦断が終われば、なかなかドラマチックな展開だったのになと、ちょっと残念に思った。大学に入ってから自分の誕生日の日には、なぜか自転車で特別な走りをしている時と重なっている。一、二年目はサークルの耐久ラン(毎年恒例の行事で夜中の12時とともに日本橋から出発して直江津までの300kmを1日で日本横断するというもの。今年、自分は参加できなかった。ちなみに記録保持者は堀江先輩になっている。)をやっている時で、今年は日本縦断をしている真っ最中だ、大学に入ってからというものつくづく自転車づいている。耐久ランにも出たかったなと、これまたちょっと残念に思った。

9月6日 鹿児島県垂水市〜鹿児島県佐多町 佐多岬 日本縦断完了!
    〜鹿児島県鹿児島市 S実家  110km
 昨日、天気が悪かったので天気予報を昨日のうちに聞いてみた。今日から3日間は雨が降るとの事だった。3日も天気を待つ気にならないので雨が降り始める前に朝早くから出発した。日があける前から走りだしていたがその甲斐むなしくどしゃ降りの雨となった。
 10時ごろには鹿児島県佐多町に入る事ができた。この辺りからアップダウンが激しくなってきて景色がかなり変わり始めた、ヤシというのかフェニックスというのかそんな感じの南国にありそうな樹木が目立ちはじめた。
 雨が弱くなってくるころには佐多岬への最後の道、佐多岬ロードパークウェイについた。早速、自転車で行こうとするが受付のおばさんに止められてしまった。なんでもここは、自動車専用道で、ここを自転車で通りたければ深夜か早朝に来いとの事。こっちはSさんとの約束があるんだから深夜まで待つなんて事をしている暇はない、そこでおばちゃんに理由を話してみるが通してくれそうにない。行きたければバスに乗れと言う。頭にきて強行突破しようかなと思うが、最後の最後でマナーの悪い事をやって怒られるのもつまらない、自分が日本縦断で求めたものは自転車だけで日本を走りきったという事実ではなく日本縦断を通して得られる感動や思い出のはずだ、と思い直してバスに乗ることにして佐多岬に向かった。
 バスに乗り佐多岬に向かっていくにしたがい風景がどんどん変わっていく、さっきまであった南国にありそうな植物から今度はジャングルにありそうな植物に変わっていった。変な木があって、おそらく木の皮なのだろうが、その木の枝に無数にそれがたれ下がっていて気持ち悪い。バスを降りてトンネルをくぐりさらに進むと神社があった。その神社にノートが有ってこの神社に訪れた人たちが記帳していた。そのノートを見てみると予想どうり自転車で日本縦断している人たちが記帳していた。自分がここに来る3日前にも日本縦断を終えている人がいた。だいたい自転車で日本縦断をやる人の人数は年間10数人から20数人ぐらいのようだ。うちのサークルにも日本縦断者をした人が何人かいるらしく、中には女の人の名前があったりもする。「まぁ、自転車乗りの考え方なんて皆、似たりよったりだな。」と思った。そのノートに自分も記帳した。その神社からさらに先に進むと「本土最南端 佐多岬」とかかれた看板がある。日本縦断が終わった瞬間だった。そのときの心境は落ち着いていて、ただ「終わったか。」という気持ちと帰ってからの事だけで頭がいっぱいだった。その後、高村さんやSさん、井伊、八巻、友人に報告の電話をかけた。そのとき八巻は、四国の端の辺りでホイールのスポークがいきなり6本も折れてしまったらしく、それで日本縦断を切り上げ東京に帰ってしまっていた。一番、自転車のメンテナンスをしていた八巻がメカトラを起こしたのには驚いた。そういえばメカトラといえば幸運な事に自分の自転車には特にこれといって問題はなかった。パンクを2回しただけだった。
 佐多岬に行った後、バス停まで歩きまたバスに乗っていった。鹿児島県根占町まで自転車で走り、フェリーに乗り対岸の鹿児島県山川町へ渡った。山川駅で鉄道に乗ろうとしたとき1つ問題が起きた「輪行袋がねぇ!」どうやら東京の家に置いてきたか無くしたらしい、それと同時にある1つの感情が襲ってきた「自転車もって帰るのめんどくせぇな!」である。さらにどうせ家に持って帰っても、もうロードレーサーしか乗る気がないから、誰か有効に使ってくれる人にあげようと思い、地元の高校生にあげてしまった。
 その後、Sさんが実家に泊めてくれると言うので、鉄道でSさんの実家まで行く事にした。南鹿児島駅で降りてSさんに連絡すると迎えに来てくれると言うので待っていたが、なかなか来ない。Sさんから電話があって、どうやら自分は間違った駅にいるらしいと言う事が判明、とりあえずここまでわざわざ来てくれると言うのでさらに待つ。しばらく待った後、SさんとSさんのお父さんが現れ、Sさんの家まで連れて行ってくれた。その後、Sさんの実家で夕食をご馳走になる。鹿児島の郷土料理を頂いたのだが、その中でもトンコツは絶品だった。さらにSさんのおとうさんにばっちり飲まされてしまった。今日は久しぶりの布団で寝れる事がなによりもうれしかった。いつも銀マットをしいて寝袋で寝ていたから、久しぶりの布団の感触がもの凄く気持ちいい。あまりの気持ちよさにいつ寝たのかすら覚えていない。

9月7日 鹿児島観光 Sと1日デート 0km
 Sさん鹿児島案内をしてくれるというので、お言葉に甘えて案内してもらう。鹿児島市内を回って、海岸線沿いを歩いて、お昼を食べた後、桜島観光バスに乗った。
 この日もSさんの実家に泊めていただいた。

9月8日 西鹿児島駅〜岡山駅 0km
 朝早くSさんのお父さんに車で駅まで送ってもらってしまった。この2日間の事についてお礼を行った後、始発に乗って出発した。一日中電車を乗り継いで、岡山駅まできた。駅のホームで銀マットをしいて寝袋で寝た。

9月9日 岡山駅〜新高円寺駅 帰宅 0km
 始発列車に乗りこの日も一日中電車に乗っていた。夕方帰宅。



総走行距離3496km


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