「ラバネロ」とは
スミタラバネロパールイズミは、東京都練馬区の自転車クラブチーム「チームラバネロ」が、レース活動を行う際に用いる名称です。ラバネロ (ravanello) とは、イタリア語で「二十日大根」を意味する単語で、自転車レースの本場・イタリアと、練馬の特産「練馬大根」にちなんだチーム名となっています。
チームの生い立ち
1974(昭和49)年9月、タカムラサイクル(当時)内に発足した「高村サイクルチーム」が、チームラバネロの前身に当たります。発足当時はサイクリングのみのクラブでしたが、店長の高村精一がインカレや国体などで活躍した経歴を持つこともあって、徐々にレースに参加する若いクラブ員が増えてきました。そんな若いクラブ員のために作られたショップオリジナルの自転車のブランド名が「ラバネロ」。これに合わせて、チーム名も「チームラバネロ」に改称し、現在に至っています。現在、クラブ員は全国に約130名。レース活動が有名になった今でも、レースからサイクリング、老若男女が所属するクラブチームです。
レース活動
ラバネロのレース活動は当初、まだ国内のロードレースが少なかったこともあり、トラック競技がチームのレース活動の中心でした。
ロードレースには、どちらかと言えば単発的に出場していたラバネロですが、1990年のツールド北海道に関東選抜チームとして出場したことが、ひとつの転機となります。この時の結果はチーム総合9位でしたが、器材や移動宿泊費を全額自己負担するクラブチームとしては、ある意味限界の順位とも言えました。しかし逆に、資金さえ何とかなれば、もっと上を狙えるという手応えもあったので、チームのレース活動を援助してくれるスポンサーを探すことになったのです。
こうして、1991年より、チームのトップ選手は「アートネイチャーラバネロ」として、本格的にロードレースの活動を開始しました。「アコムラバネロ」を経て、現在は「スミタラバネロパールイズミ」として、株式会社住田光学ガラスを始めとする数社に、チームの活動を援助していただいています。
| 1990 |
関東地域選抜チームとして、ツール・ド・北海道に出場。
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| 1993 |
全日本実業団ロード 優勝(大野直志)
ツール・ド・北海道 個人総合ポイント賞(白川賢治)
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| 1994 |
ツール・ド・北海道 個人総合優勝(大野直志)
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| 1995 |
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| 1996 |
ツール・ド・とうほく 個人総合優勝(新保朝生)
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| 1997 |
ツール・ド・北海道 第1ステージ優勝(飯島誠)
ツール・ド・北海道 個人総合優勝(ミケーレ・コレオーニ)
ツール・ド・北海道 団体総合優勝
実業団クリテリウム in はりま 優勝(飯島誠)
実業団ロード棚倉・塙・矢祭大会 優勝(飯島誠)
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| 1998 |
全日本実業団ロード 優勝(飯島誠)
ツール・ド・とうほく 個人総合優勝(湯学忠)
ツール・ド・北海道 第4ステージ優勝(湯学忠)
国民体育大会 ロードレース 優勝(飯島誠)
アジア大会 ロードレース 銀メダル(飯島誠)
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| 1999 |
3DAY ROAD 熊野 個人総合山岳賞(湯学忠)
全日本実業団ロード 優勝(新保光起)
全日本実業団トラック ポイントレース 優勝(飯島誠)
全日本実業団トラック 女子個人追抜 優勝(杉村久美)
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| 2000 |
全日本選手権 男子ポイントレース 優勝(飯島誠)
全日本選手権 女子ポイントレース 優勝(森本朱美)
シドニーオリンピック ポイントレース日本代表 決勝15位(飯島誠)
シドニーオリンピック ポイントレース日本代表 決勝15位(森本朱美)
シドニーパラリンピック 視覚障害者タンデム スプリント銀メダル(葭原滋男・水澤耕一)
シドニーパラリンピック 視覚障害者タンデム 1kmタイムトライアル 金メダル(葭原滋男・水澤耕一)
ツール・ド・北海道 個人総合山岳賞(新保光起)
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| 2001 |
台北国際自由車大会 個人総合優勝(飯島誠)
東日本実業団トラック 女子個人追抜 優勝(杉村久美)
全日本実業団トラック記録会 ポイントレース 優勝(飯島誠)
実業団クリテリウム in いわき 優勝(飯島誠)
ジャパンカップサイクルロードレース 山岳賞(福島康司)
ツール・ド・おきなわ 男子チャンピオン 優勝(飯島誠)
ツール・ド・おきなわ 女子 優勝(森本朱美)
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| 2002 |
トラックワールドカップ モスクワ大会 ポイントレース3位(飯島誠)
ツール・ド・チャイナ 個人総合優勝(飯島誠)
全日本実業団ロード 優勝(飯島誠)
トラック世界選手権 ポイントレース 7位(飯島誠)
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